大町市の文化財

    国宝  仁科神明宮

大町市社・宮本にある国宝仁科神明宮の現本殿は寛永13年(1636)に作られた。本殿は神明造りの建築物としては最も古く、日本でただ一つの国宝指定、さらに様式が奈良時代にさかのぼる古い形を残している。元々の建立は「仁科の御厨は往古の建立」とされる。手前の擬宝珠は鎌倉時代のものといわれる。本殿・中門・釣り屋が国宝指定、その他木造棟札27枚、御正体(掛け仏)5面が国の重要文化財、11面が付属指定されています。3月15日に春祭り、9月の第3日曜日と翌日の敬老の日に秋祭りが行われ、春祭りには県無形民俗文化財「古式作始めの神事」、秋祭りの敬老の日には県無形民俗文化財「仁科神明宮の太々神楽」が行われる。

      重要文化財 盛蓮寺観音堂

大町市社曽根原の真言宗・盛蓮寺は、もともとは、隣の八坂に近い堂平の山頂付近にあったといわれ、その後大町市社・山寺へ移り、さらに室町時代に現在地へ移ったとされる。観音堂は鎌倉時代の面影を残し、国の重要文化財に指定。南の穂高町にある松尾寺本堂は、この観音堂に似た作り。仁科氏の祈願寺であったことから、仁科氏により建てられたものと思われる。3間×3間の寄棟造りで松本平最古の木造建築物。

      重要文化財 仁科神明宮木造棟札

永和2年(1376)から安政3年(1856)までの480年間に及ぶ、20年に一度の式年遷宮祭の年に建て替えられたさいの棟札27枚が、指定されている。棟札が単独で重文指定されているのは全国でも類例がない。20年に一度の式年遷宮祭のようす、仁科氏の家臣、運営事情などを知ることができ、地方文化究明の上でも貴重な資料。宝物庫内に保管されている。

      重要文化財 若一王子神社本殿

室町時代末期頃に仁科氏により造営された建物で、一間社・隅木入春日造檜皮(ひわだ)葺き。承応3年(1654)の棟札が付属指定されている。建築様式に多くの地方様式を残している。神社は平安時代初期の嘉祥2年(849)に創建されたと伝えられる。かつて400年にわたりこの地を治めた仁科氏が、鎌倉時代初期に、その居館を社館ノ内から大町へ移し、まちづくりを進めるとともに、仁科盛遠が熊野権現の第5殿に祭る若一王子を勧請し現社名が定まったといわれる。当初は一若王子権現と称したが維新後現社名に改められた。昭和6年に県社に昇格、昭和51年には別表神社に加列された。現在の本殿(国重要文化財)は、室町時代の弘治2年(1556)に仁科盛康により造営されたもの。

      重要文化財 鉄鰐口

社木船にあった仁科氏の祈願寺浄福寺跡から出土したと伝えられる、鉄製鰐口。面径は24センチ、厚さ7センチ。表面に「安貞二年八月日女大旦主源氏」などの陽刻銘があり、年代が明らかなものとしては、日本で最も古い鉄鰐口。現在は市立大町山岳博物館で保管。このような珍しい鰐口がこの地に残っているのは、仁科文化の性格を語るものとして興味深い。浄福寺跡の北端には、薬師堂が建てられ、薬師如来などの仏像が安置されている。

      重要文化財 御正体

仁科神明宮宝物庫に保管されている。銅製の円盤に仁科神明宮の本地仏大日如来(天照皇大神)などを取り付けた懸仏(かけぼとけ)で、5面が指定されているほか、11面が付属指定されている。裏面に「弘安元年卯月廿一日」の朱漆銘があるものや、「弘安九年十二月廿二日」の墨書銘があるもの、「志ん名」「志んめいの御しやうたい」と記されているものもある。

      重要文化財 木造千手観音立像

八坂藤尾の覚音寺本尊で、本堂(兼宝物庫)に安置されている。ヒノキ材、寄木造で像高168・2センチ。平安時代末期の造像だが、技法や彫り方にはそれ以前のものを感じさせる。像の胎内には願主・仏師などの名前や治承3年(1179)3月と、年代など造像事情を記した墨書木札1枚、白銅製菊花双雀文鏡1枚、紙本千手観音摺仏28枚が納入されており、白銅鏡は付属指定となっている。


多聞天

重要文化財 木造持国天立像・多聞天立像

八坂藤尾覚音寺千手観音立像の脇侍で、ヒノキ材、寄木造。像高は持国天が161・5センチ、多聞天は157・6センチ。持国天は建久5年(1194)、多聞天は建久6年(1195)という年号の陽刻銘が像の背面に刻まれており、この年が造像年と考えられる。鎌倉時代初頭の造像だが、平安時代後期の作風を残している。


持国天

      重要文化財 旧中村家住宅

大町市美麻青具にある。主屋は14間×6間、建坪84坪(278u)の木造平屋建て、茅葺き、寄木造で、元禄11年(1698)建立の記録があり、建築年代が明らかな民家としては長野県内最古。大きさも当時の民家としては県内屈指で、農村における居住形態を知る上で貴重な建物。土蔵は6間×4間の切妻造で、安永9年(1780)と建築年代が判明するものとしては、県下でも古い例に属している。置屋根で軒支柱を立て、屋根の荷重を支える構造。土蔵内には市指定文化財数点を保管している。中村家年代記によると、元禄11年3月15日に建て始め、17日の晩に嶺上(棟上)をした。大工は千見村枝郷さなづらの九平と申す人とされる。※もっと詳しく→旧中村家住宅と土蔵

  国天然記念物湯俣噴湯丘と球状石灰石

大町市の最高峰・北アルプス槍ヶ岳から流れ出す高瀬川支流の湯俣川下流付近で、温泉沈殿物(おもに炭酸カルシウム)が河床に堆積し、小さな火山のような形の噴湯丘になる。温泉の湧き口付近に白い小豆粒大のあられ石・球状方解石ができる珍しい現象。噴湯丘は過去に何度か大雨による増水で流失したが、再形成されている。

  長野県宝 弾誓寺木造観音菩薩立像

弾誓寺観音堂内に安置されている。平安時代中期の制作と考えられ、ケヤキの一木造。江戸時代に修理された部分もあるが、平安時代初期の貞観様式を多分に持つ安曇平最古の木像。像高は161・センチ。後補がなければ重文指定の価値があるといわれる。


弾誓寺観音堂

 長野県宝 若一王子神社三重塔及び棟札

弾誓寺六世木食故信法阿の発願で宝永3年(1706)から工事を始め、宝永8年(1711)に完成した。かえる股部分に十二支の方位に合わせた獣面人身(顔が動物で体は人間)という珍しい彫刻がほどこされており、この地方ではまれに見る優雅な塔。松本平では唯一の木造の塔である。

 

    長野県宝 天正寺三重小塔

若一王子神社三重塔の原型とも言い伝えられ、10分の1の縮尺であるとされているが、細部の手法には王子神社三重塔とは異なったところが見られる。作られた年代は江戸中期と見られる。王子神社三重塔建立を呼びかけるため、町中を引き回したのではないかと推測する人もいる。

    長野県宝 大黒町舞台

7月の若一王子神社例祭奉納行事に市中を巡行する。諏訪の名匠立川和四郎富昌により、江戸時代後期の文政9年(1826)ころまでに完成したと思われる。二層構成・切妻置屋根・三輪形式。随所に入念巧遅な立川流の彫刻が施され、美術的価値が高い。明治21年に松本本町2丁目から購入した。大黒町 保存会 長野県宝 大黒町舞台 子供流鏑馬
※他の舞台→王子神社夏祭り・舞台(山車)

    長野県宝 霊松寺山門

入母屋造・正面3間・側面2間の楼門形式8脚門で総ケヤキ造り。和様の重厚な形式を基本に、唐様を取り入れた折衷形式で、いたるところに施された彫刻は、江戸時代後期の立川流の流れをよく表している。嘉永5年(1852)に諏訪郡高部村の藤森広八政因が棟梁をつとめ、和田大蔵を脇棟梁に、松川村観勝院山門として建てられ、明治初期の廃仏棄釈により廃寺となったあと、明治11年に霊松寺へ移築された。2層部分欄干四隅の擬宝珠には「嘉永五年」「松川邑観勝禅院」などと刻まれている。
霊松寺・公式ホームページ※もっと詳しく→霊松寺

長野県宝銅造11面観音坐像御正体残闕

若一王子神社観音堂の現本尊。本来は懸仏だったが、鏡板を失い仏体のみとなっている。鋳銅造で像高19センチ、蓮華座の高さ3センチの坐像で、右手は施無畏、左手は瓶中蓮を持っていたと思われるが、失われている。もとは金銅仏だったと思われるが、今は剥落している。やや下ぶくれの顔は柔和で、体型はふっくらとしている。彫りは浅く衲衣(のうい)も簡略だが、出来映えは優美である。


古瀬戸

  長野県宝 山寺廃寺跡出土品     

鎌倉〜室町時代に社閏田の東山中・山寺地籍にあったと伝えられる、山寺廃寺跡から出土した、火葬骨の蔵骨器で、四耳壺1、瓶子2、土師質小皿1、青白磁水注1、写経石(法華経の一部が墨で書かれたもの)1。林道開設工事のさい見つかったもの。四耳壺、瓶子は古瀬戸で、鎌倉時代の優れた製品。水注は中国・景徳鎮での製造と推定される。大町市社公民館・民俗資料館内に展示されている。

    

白青磁水注

ペリー来航を伝える嘉永7年の文書

       長野県宝 清水家文書(県立歴史館保存)

大町市常盤上一の清水家に伝わる、慶長19年(1614)から昭和25年(1950)にわたる文書資料39728点。清水家は江戸時代に松川組16村の大庄屋をつとめ、それ以外の時期も一本木村庄屋などをつとめた。清水家文庫蔵に保管されていたもので、平成10年まで大町市指定文化財。11年に長野県立歴史館が購入、平成18年に県文化財に指定された。防衛省にもない、大正時代の陸軍大学関係史料など、貴重なものが多い。


松川組に関する文書

五行の舞

長野県無形文化財 仁科神明宮の神楽     

仁科神明宮の秋の例祭に奉納される。演目は剣の舞、岩戸神楽、五行の舞、水継、幣(ぬさ)の舞、龍神神楽、道祖神の七座。舞だけのもの、舞を伴いつつ謡曲により天の岩戸・海幸山幸、天孫降臨の神話を展開していくものがある。現在は敬老の日午後1時から神社神楽殿で行なわれている。

仁科神明宮の神楽

     


岩戸神楽

 長野県無形民俗文化財 作始めの神事       

仁科神明宮の春祭り(3月15日)午後1時から、神楽殿で行なわれる。伊勢神宮の祈念祭にならい行なわれている神事。鍬はじめから、苗代づくり、種まき、モグラ追い、虫追い、あぜ塗り、田起こしなど1年間の稲作作業の所作が、一坪(3・3平方メートル)に区切った区画のなかで演じられ、最後に神官が種もみを使って、その年の吉凶を占う。
仁科神明宮作始めの神事

長野県無形民俗文化財 流鏑馬の神事

7月17日の若一王子神社例祭後の日曜日に、奉納行事として行なわれる。、7歳〜8歳前後の男の子が狩衣装束に身を包み、飾りをつけた馬に乗り、市街地の駅前などと神社境内の的場に設けられた的板をめがけて矢を射る。もとは農作の吉凶を占う神事で、武士の間で盛んだったやぶさめの形を取り入れた、地方色の強い神事と考えられる。明治初期まで仁科神明宮で行なわれ、翌日王子神社で行なわれていたといい、当時は大人が騎乗していたと伝えられる。現在は10町内から少年騎手が出る。八日町にある流鏑馬会館に衣装などが展示されている。※もっと詳しく→若一王子神社流鏑馬の神事


流鏑馬会館の人形

   長野県史跡 上原(わっぱら)遺跡

昭和25年から27年にかけ、数次に渡り発掘調査が行なわれ、環状列石と呼ぶ配石遺構や竪穴住居址などが見つかり、縄文時代前期を代表する遺跡。配石遺構は2群あり、1号群は中心石柱1基、側石柱12基により構成、2号群はこの南に中心石1基、側石6基により復元。竪穴は配石遺構の南約50メートルにあり、径2メートル×深さ1メートル。側壁が階段状になっており、焚き火跡も見られる。現状は竪穴に土砂をかぶせているため、見えない。この発掘調査については国学院大学ホームページが詳しい(上原遺跡で検索して下さい)→國學院大學学術資料データベース上原遺跡

 長野県天然記念物 大塩のイヌザクラ

美麻大塩の静の桜公園内にある。源義経のあとを追い奥州へ向かった静御前が「おおしゅう」と「おおしお」を聞き違えた地元民の話を聞き、この地を訪れたとき、ついてきた杖を地面に挿したものが根付いたとの伝説が残り、「静の桜」と呼ばれる。目通り周囲8・45メートル、樹高は20メートルほどと低いが、枝は四方に伸び雄大。開花期は5月下旬ころで、5ミリ程度の梅のような花が密集して咲く。※もっと詳しく→大塩のイヌザクラ

長野県天然記念物 若一王子神社社叢

約300本のスギと、約130本のヒノキを主体とした、指定面積17186・4平方メートルの社叢である。平坦地において、これだけの面積の針葉樹林が見られるのは珍しく、貴重である。
※もっと詳しく→若一王子神社社叢

 長野県天然記念物 仁科神明宮社叢

国宝仁科神明宮を囲むスギ、ヒノキを主体とした、指定区域面積19257・78平方メートルの社叢で、境内入り口にある3本杉(うち1本は強風で倒れ欠損)や、国宝の本殿西側にあるスギは、目通り周囲5メートル、樹高50メートルを超える巨木で、これらに加え境内には幹周り2メートルを超えるスギ20数本、ヒノキ十数本が生育し、古い歴史を物語っている。
※もっと詳しく→仁科神明宮社叢

  長野県天然記念物 居谷里湿原

指定面積は20902平方メートル。湿原内にはモウセンゴケやミミカキグサ、タヌキモなど、多種の食虫植物のほか、ハンノキ、ミヤマウメモドキ、イソノキなどの大木とミズバショウ、リュウキンカ、ミツガシワなどの草本など、湿原特有の植物が見られる。また県内では珍しい暖地性のハッチョウトンボ生息地であり、岐阜県や長野県南部に生育するハナノキの隔離分布地として学術上貴重。ここで見つかったイヤリトリカブトも見られる。


イヤリトリカブト
県植物レッドデータブック絶滅危惧種

中部農具川

長野県天然記念物 大町市のカワシンジュガイ生息地

中綱湖と木崎湖を結ぶ中部農具川、居谷里から三日町へ流れる居谷里沢が、氷河期の生き残りといわれる北緯40〜55度に分布する淡水二枚貝・カワシンジュガイの生息地として、県天然記念物に地域指定されている。カワシンジュガイは、サケ科の魚のえらに卵を産みつけて育つ。
※もっと詳しく→カワシンジュガイ生息地


居谷里沢

     大町市有形文化財 広形銅戈

出土地などは明らかでないが、新潟県糸魚川地方または小谷村と推定されている。全長24・5センチ。銅戈は北九州から近畿地方にかけて分布しているが、中部地方以北の出土はまれで、本銅戈発見当時は北限となっており、弥生文化の伝播を知る貴重な資料といえる。海ノ口諏訪社に保管されていたが、現在は大町市文化財センターで保管されている。※もっと詳しく→広形銅戈


海ノ口諏訪社ヒカリゴケ

  大町市有形文化財 若一王子神社観音堂及び厨子

観音堂は江戸時代中期の宝永3年(1706)に建立された、宝形造、茅葺き、3間4面の和様建築。内部は表側2間通りを外陣とし、奥1間通りを内陣として厨子を置く。厨子は禅宗様式を多く取り入れ、和様と唐様を折衷したもの。

     大町市有形文化財 盛蓮寺木造不動明王立像

腰をひねるようにして、右足に体重を乗せて岩座に立つ。半眼半開、二牙を上下交互にあらわしてる。右肩に垂れる髪の一部、、左ひじなどに傷が見られるほかは、ほぼ完全だが、右手に構える剣を失っている。鎌倉時代末の製作で台座・光背は後の時代に補っている。総丈98センチ、仏丈65センチ、岩座15・5センチ。

     大町市有形文化財 盛蓮寺木造薬師如来坐像

室町時代前半の文安4年(1447)に製作された、ヒノキ材の小像である。小さいながら、作風はおおまかに、ゆったりとしており、大きな感じを表している。像の胎内に「文安第四丁目卯三月廿四日 願主 喜香叟」の墨書銘がある。台座、光背、両手首、薬壺などを失っている。

     大町市有形文化財 大澤寺木造阿弥陀如来立像

ヒノキ材、寄木造。全高78センチ。後補を繰り返していると思われ、躯体部は室町時代末から桃山時代、頭部は古く、平安時代の藤原様式がうかがえる。形状は整い均整がとれている。仁科氏の旧臣であった松村市左衛門の拝仏堂に安置されていたと伝えられる。 ※もっと詳しく→大澤寺木造阿弥陀如来立像

     大町市有形文化財 西正院木造大姥尊坐像

越中富山城主佐々成政一行が、雪の立山を越えて徳川家康のもとへ向かうさい、道中の安全を祈願し、家臣が背負ってきたものと伝えられる。ヒノキ材寄木造。像高39・5センチ。頭に白布をかぶり、ゆったりとした単衣をまとい、帯を前に結ん右足を立てて座った老婆の姿の像で、写実性に富み、量感も豊かな室町時代中期の作。台座を失っている。当地における山岳信仰の一面を伝える証左として貴重。


西正院大姥堂

     大町市有形文化財 天正寺山門

装飾的要素がほとんどない、純粋な和様の薬医門である。元禄元年(1688)の建立で、宝暦10年(1760)に修理しているが、柱から梁間は建立当時のままと思われる。禅寺(曹洞宗)にふさわしい簡素な山門で、江戸時代中期の数少ない建造物である。八坂・大塚の丸山九郎左衛門尉が寄進したもの。


天正寺参道

     大町市有形文化財 長性院木造観世音菩薩立像

ヒノキ材、寄木造。総高184・3センチ、像高107センチ。弾誓寺6世木食山居による江戸時代中期の作。背面下部に「万躯之内 木食山居作」の墨書銘がある。木食山居の数多い仏像のなかでも、最も円熟期における大型で入念な作品である。


長性院

    大町市有形文化財 盛蓮寺木造如意輪観音坐像

ヒノキ材、寄木造。像高77・6センチ。後補の著しい像だが、左ひざの後部は造像当初のもので、鎌倉時代後期の写実的な像容が見られる。享保3年(1718)に修理をしたことを伝える朱漆銘が光背裏にある。一般的な如意輪観音の印相と左右逆になっている。国重要文化財の観音堂内に安置されている。

   大町市有形文化財 木舟薬師堂木造薬師如来立像

浄福寺跡にある木舟薬師堂の本尊。江戸時代の大町組神社仏閣帖に「本尊薬師 御長三尺八寸」とあるのは、この像と考えられる。ヒノキ材、寄木造。総高122・8センチ、像高113センチ。後補の著しい像であるが、体部と両肩から先の主要部分は造像当時のもので、鎌倉時代後期の写実的な像容が見られる。寛文6年(1666)に修理したことを伝える木札が残っている。
※もっと詳しく→木舟薬師堂薬師如来立像


向かって右側

大町市有形文化財 弾誓寺観音堂木造伝弾誓上人坐像

ヒノキ材、寄木造、玉眼嵌入。糊粉下地に彩色をほどこす。像高75センチ。像容は衲衣の上に袈裟をまとい、趺坐(ふざ=あぐらをかく)して合掌する姿である。江戸時代の17世紀中ごろの作。地方色でありながら彫り技の冴えが見られる完成度の高い作品である。この像は江戸時代前期の常念仏盛行の時代を看取れる貴重な文化財である。

大町市有形文化財 弾誓寺観音堂木造伝長音上人坐像

ヒノキ材、寄木造、玉眼嵌;入。糊粉下地に彩色をほどこす。像高78センチ。像容は衣の上に袈裟をまとい、あぐらをかいて両手で数珠を持つかと見られる姿である。胎内の胸部及び背部の二か所に墨書銘が記されている。江戸時代中期の元禄13年(1700)の制作。弾誓寺第4世願誉岳空寂阿の造像。本格的な彫り技を用いた貴重な作品である。


向かって左側

   大町市有形文化財 盛蓮寺木造虚空蔵菩薩坐像

カツラ材、寄木造。像高24・1センチ。制作は室町時代前半と考えられる。台座、光背、持ち物、彩色などは江戸時代後期に補われたもの。虚空蔵菩薩像は、長野県内において室町時代前半にさかのぼる類例が少なく、真言密教および修験道の信州への伝播を示す貴重な仏像である。高い垂髻、ふくよかな頬張り、厳しい表情などから鎌倉様を伺うことができる。しかし独尊像として祭られる場合、通常五智宝冠を頂き、体幹部は菩薩形像の纏う条帛(じょうびゃく)、裳を着用するが、この像はそれらが認められず、虚空蔵菩薩の持つ原型が変容されていることから、制作年代は室町時代前半と見るのが妥当であろう。

    大町市有形文化財 天正寺木造薬師如来立像

ヒノキ材、寄木造。像高261センチ。胎内に打ち付けられた木札の墨書銘から、造仏を修行とする作仏聖「生誉蓮入比丘」により、延宝5年(1677)5月に造立されたことが分かる。かなりの巨大像であり、しかもていねいに仕上げられている点で、文化的価値が高い。

 大町市有形文化財 大黒町追分の石造大黒天像・附版木

嘉永5年(1852)に高遠の石工により彫られた石像で、大黒町の名前の由来ともなっている。現在のところ松本平では最大(全高約1・7メートル)にして最古のもので、彫刻技術も優れている。造立の由来を記した趣意書の版木も残っている。

    大町市有形文化財 山寺廃寺跡出土遺物

写経石(法華経の一部が石に墨で書かれたもの)1点、灰釉小皿1点の計2点。県宝指定されている「山寺廃寺跡出土品」と同じ。社閏田の山寺廃寺跡から出土したものであるが、表面採集されたもので、出土状況は明確でない。大町市民俗資料館保管・展示。

大町市有形文化財 若一王子神社木造伝十一面観音立像

ヒノキ材、寄木造。推定像高180センチ。11世紀の製作。台座・光背・瓔珞(ようらく)の残闕(ざんけつ)は、江戸時代の後補。明治時代の初めに廃仏棄釈のさいに燃やされ、大きく損傷を受けているが、若一王子神社の本地仏と考えられ、神社の歴史を語る資料として貴重だ。

 大町市有形文化財 仁科神明宮銅製日岐盛貞奉納鏡

円形、直径は27・4センチ。鏡背には五大明王、奉納者名、紀年銘などが記されている。この鏡は江戸時代の寛永13年(1636)の仁科神明宮現本殿式年造営のときに、日岐盛貞により奉納されたもので、実用品ではない。

   大町市有形文化財 仁科神明宮木造棟札

国の重要文化財に指定されている、室町時代(1376)から江戸時代末期(1856)の、27枚の棟札以降の、明治時代から昭和時代の棟札6枚が大町市文化財に指定されている。仁科神明宮で20年に一度行なわれる式年造営祭の歴史を明らかにできる貴重な資料である。

 

 大町市有形文化財 仁科神明宮木造小笠原秀政禁制札

江戸時代の慶長19年(1614)に、松本領主小笠原秀政が、領内おもな社寺に対して、その保護を目的として交付したものの1枚。ヒノキ板に墨で禁制文が書かれた縦34センチ、横61・3センチの高札である。

  大町市有形文化財 山下神社木造小笠原秀政禁制札

小笠原秀政が領民掌握のため、社寺境内に交付した禁制札である。慶長19年5月15日の墨書銘が残る。高札上部には屋根形の桟があった痕跡が残るが、現在は失われている。法量は最大高33・8センチ、最大幅59センチ。

    大町市有形文化財 八坂神社の旧神輿

「お天王さまのみこし」として大町市民に親しまれてきた神輿は、戦後しばらくの間、7月15日(現在は日程変更)の八坂神社例祭日に、肩にかつがれて市街地を巡行した。この神輿の下をくぐり抜けると、病気にかからないと信じられ、大勢の人々がくぐり抜けた。江戸時代中期、18世紀初頭の製作とされ、若一王子神社観音堂宮殿(くうでん=厨子)などを建立した、大町の宮大工・金原一門の手になったものと推定される。大町の八坂神社奥宮は、居谷里水道水源地内天王沢にある。いつ勧請されたかは不明だが、仁科氏が水神として京都の八坂神社を勧請したものという伝承もある。里宮は九日町にあったが、神社合祀令により明治41年に王子神社境内に移され、境内社となっている。※もっと詳しく→八坂神社旧神輿


連帯新道道程表

    大町市有形文化財 飯嶋善士氏所有「信越連帯新道」関係史料
    及び飯嶋家文書一括附その他の史料 

江戸時代末期から明治初年にかけての野口村庄屋文書を中核とする。このなかで注目されるのが、信州内陸部と北陸沿岸部を結んだ交流最短路である「信越連帯新道」開鑿(かいさく)の関係史料である。指定数は、古文書関係628点、その他看板などの史料84点を数える。


料金高札

   大町市有形文化財 八日町毘沙門天立像

仏像の総高168センチ、仏高114センチ、台座40センチを測る。製作年代は頭部ヒノキ材が鎌倉時代、躯体部が江戸時代初期、台座が江戸時代中期と、補作が見られる。かつては右手に戟(ほこ)を持ち、左手に宝塔を掲げていたが、現在は欠損している。

   大町市有形文化財 西沢正雄氏所有文書一括

西沢家文書には、江戸時代初期の庄屋関係文書と、江戸時代末期の大庄屋関係文書とが含まれている。指定古文書類は、慶長16年(1611)〜明治25年(1892)に及ぶ258点、その他の史料84点を数える。

   大町市有形文化財 栗林士郎氏所有文書一括

わちがい・栗林家は、江戸時代初期から村役をつとめ、少なくとも享保年間から大町組の庄屋をつとめた家柄。指定された古文書の内容は、庄屋という役目上から関与した法令、藩制・村制、租税、土地、林野、戸口、農林業、醸造、水利、土建、治安、宗教、凶災、身分、絵図などの文書と、大町の宿場に関わる交通、宿駅、運輸、通信、商業、都市などの分野を統括し、きわめて貴重。
※もっと詳しく→栗林家文書


高橋家文書

   大町市有形文化財 高橋鴻生氏所有文書一括

八一(はちいち)・高橋家は大庄屋格を受け、江戸期を通じて松崎(まっさき)村庄屋、閏田村庄屋を兼務した由緒ある家柄。所蔵文書には、長年つとめた村方文書を主とする租税関係、用水堰普請などのほか、地域の特産であった莨(たばこ)の栽培・出荷関係、家業の酒造関係文書がある。特筆すべきは文政8年に発生した赤蓑騒動の見聞を記した六角鬼堂による赤蓑談は、唯一の現存本として大変貴重なもの。
※もっと詳しく→高橋家文書


中央が赤蓑談

   大町市有形文化財 生婦平出土銅造瑞花八稜鏡

八坂大平のしょうぶ平で出土した。直径11・7センチ、縁高0・7センチ、厚さは約0・3センチ。鏡の縁は先のとがった花弁8枚を円形に並べた八稜型で曲線が美しい。唐式鏡から藤原和式鏡に変化していく、過渡期に鋳造されたことが明瞭な図柄であり、特色から考えて製作年代は平安時代後期と考えられる。
※もっと詳しく→生婦平出土銅造瑞花八稜鏡

 大町市有形文化財 大平地蔵堂の木造地蔵菩薩立像

八坂大平地蔵堂内に安置。ヒノキ材、寄木造、玉眼嵌入全身彩色像。像高は36・5センチ、仮台座1・6センチ。両手首から先を失っている。当初は、全身彩色が施されていたが、塗料の大部分がはがれている。像造年代は14世紀前半の南北朝時代の作と考えられる。小像ではあるが本格的な寄木造によっており、大型像に劣らない優れた出来映えの仏像である。年代的にみても貴重。
※もっと詳しく→大平地蔵堂木造地蔵菩薩立像


地蔵堂と枝垂桜

  大町市有形文化財 小松尾諏訪神社本殿

江戸時代後期の文化13年(1816)の建造。一間社、流造りで向背軒唐破風付きこけら葺き総ケヤキ造り。大工は大町組の金原周蔵で、彫刻は浅川豊八(大隈流)による。彫刻は優れ、丸彫りの唐獅子・象鼻や雲に麒麟の透かし彫りが施される。祭神は建御名方命。氏子の麻田家所蔵文書に建立の経緯が明らか。文書によると氏子の一人が蓄えを再建の費用として寄進し、工を起こしたいと提案、小松尾総氏子中も賛同。総工費ぱ金19両591文。比較的小社殿ながら、江戸時代後期の特色である白木彫刻を隅々まで施しており、全体の結構も良い。宮大工浅川豊八の代表作のひとつといえる。一部が欠損しているものの、ほとんど建立当時のままで良好に保存されている。
※もっと詳しく→小松尾諏訪神社本殿

      大町市有形文化財 野平神社本殿

天照大神(明神)、建御名方命(諏訪)、誉田別命(八幡)の三神をまつり、江戸時代前期の元和5年(1619)8月10日の勧請といわれる。このことは拝殿前の文化14年(1817)7月造り替えの常夜灯が、元和5年7月創立のものの後身であると略記してあることと一致する。本殿は三間社・流造り、こけら葺き、総ヒノキ造りである。現社殿は江戸時代後期の再建であり、白木彫刻に優れている。大工は大町の曽根原甚五郎、越後石地宿又四郎、仁熊村(麻績組)大工。「大町組神社仏閣帳」には、本殿は三社それぞれ別棟の三社並立の社殿であったことが記されていて、これ以後いつの頃か現在のような一棟三社相殿形式になったものである。
※もっと詳しく→野平神社本殿

     大町市有形文化財 矢田川磨崖仏

高さ約6メートル、幅約4メートルの砂岩塊に、約200年にわたって五つの彫刻が施されている。年代の古いものから@青面金剛像(庚申像)=元禄から享保年間、A地蔵菩薩像=江戸時代中期の享保3年(1718)、B庚申塔=江戸後期の文化4年(1807)、C徳本上人名号碑=江戸時代後期(文化13年=1816=6月17日に、この地を徳本上人が訪れたさいに配られた名号札のうちの1枚を使って刻まれた名号碑である。この日からそう日時が経たない時期に刻まれたものであろう)、D大日如来像=幕末の嘉永3年(1850)となる。
※もっと詳しく→矢田川磨崖仏


徳本上人名号碑

   大町市有形文化財 北条峰の徳本上人追善供養塔

砂岩製で残存する石碑高は108センチ、最大幅は85センチ。碑文には「念佛供養 名蓮社号誉上人称阿弥陀佛徳本」「供養塔」と大書し、碑の右脇に「文政元寅年十月六日 徳本行者」と刻んでいる。これらを囲んで浅く輪郭を彫り、輪郭の外に「願主前音羽晴・・・・」と刻んでいる。他にも銘文があるようだが、判読できない。文政元年=1818年
※もっと詳しく→北条峰の徳本上人追善供養塔

   大町市有形文化財 曽山の善光寺千人参り名号塔

江戸時代後期の弘化2年(1845)に造られた。砂岩でできており、総高は322センチ、塔身は253センチ。塔身正面は花頭形輪郭を彫り窪め、上部には円輪郭のなかに阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の3体、いわゆる阿弥陀三尊像を半肉彫りしている。その下に南無阿弥陀佛と大書する。筆當大勧進権僧正願拝。石工は大平村石原の若林嘉久治勝重と高遠の清水八五良安信による。もとは美麻大塩地籍にあったが、県道八坂美麻線拡幅改良工事に伴い、八坂曽山地籍へ移された。
※もっと詳しく→善光寺千人参り名号塔

   大町市有形文化財 富士浅間神社本殿

一間社・流造り。規模は間口1間2尺、奥行き1間5尺。現社殿は江戸時代後期の文化12年(1815)9月に再建されたもので、立川豊八による建築。付属指定として棟札3枚がある。
※もっと詳しく→富士浅間神社本殿

   大町市有形文化財 富士浅間神社神楽殿

江戸時代中期の建立。言い伝えによると元禄11年(1698)。大工は千見村真面の九兵衛による建築。6間四方の寄棟造で三面が板壁、床板張り舞台は幅11メートル、高さ2・8メートル。舞台中央には直径4・6メートルの回り舞台を持つ。明治中期頃まで歌舞伎を奉納していたという。
※もっと詳しく→富士浅間神社楽殿

   大町市有形文化財 富士浅間神社絵額

16面を指定。江戸時代幕末の嘉永から安政年間のものが主体。大型のものが多く、保存も良好である。制作年代の最も古いものは、安永6年(1777)奉納の「渡辺綱羅生門の鬼と戦う図」。昭和14年(1939)の「八幡太郎雁の乱るるを見て敵の伏勢を知る」「騎兵出兵図」までが指定されている。最大のものは、嘉永6年(1853)奉納の「虎図」で幅121センチ、高さ92センチ。最小は騎兵出兵図で幅26センチ、高さ22センチ。
※もっと詳しく→富士浅間神社絵額

   大町市有形文化財 千見神明宮本殿

現在の本殿は江戸時代末期の天保12年(1841)9月の造営再建である。一間社神明造。大工棟梁は大町の曽根原甚五郎、曽根原謙蔵。棟札には慶長17年(1612)、寛文3年(1663)、宝永4年(1707)、天保12年(1841)、嘉永2年(1849)などが存在する。最も古い慶長17年の棟札と藩奉行6人の連署が見られる幕末の万延元年(1860)の禁制札が付属指定されている。
※もっと詳しく→千見神明宮本殿

   大町市有形文化財 水上神社本殿

一間社・流造り。彫刻が優れている。古い棟札として江戸時代中期の享保4年(1719)のものが残る。現在の社殿は文政8年(1825)建立で、大工棟梁は越後市振(新潟県糸魚川市青海市振)の片桐利七とその一門によるもので、装飾彫刻に優れている。庄屋小林家には、このときの造営記録が残っていて、たいへん貴重である。
※もっと詳しく→水上神社本殿

   大町市有形文化財 下條家関守門

松本藩と松代藩が境を接する旧千見村に建てられた、関守の地位と格式を象徴する門である。建築年代は不明。松本藩水野氏(1656〜1735)の代に関守を置き、下條家はその任をまかされ、当時50石を与えられて鉄砲組を配し、警備にあたった。門正面は三間、奥行きは二間。切妻屋根。北側には三間の長屋が残存する。現在はトタン屋根だが、もとはカヤぶき。

   大町市有形文化財 下條秀則氏所有文書一括

元和年間(1615)から明治初期に及ぶ武家(藩の記録)、関守文書(45点)を中心とする169点。人および荷物の関所手形の類はもとより、番所運営のご法度、預けられた道具のこと、番所建物の破損状況書き上げ、それに伴う修繕・建て替えの材料記録などがあり、藩政のいったんを担った在地の史料として貴重。主要なものを上げると「松本町在々関所萬覚書之帳」「信州仁科記」「水野忠直公御家中分限書」など。
※もっと詳しく→下條家文書

   大町市有形文化財 中村武本氏所有文書一括

江戸時代初期の寛永21年(1644)から明治時代初期にかけての文書616点。中村家は青具村庄屋をつとめた。藩政および村政の実情をたどる上で貴重な史料である。また「中村家年代記」のように、出来事や世の中の風聞など、村ならではの史料が残されている。特に宝永4年(1707)頃から、3代目五左衛門が庄屋をしていた享保12年(1727)までの年貢関係の文書は多く、松本藩水野家時代後半の、村々への貢租の実情を知る上で貴重。
※もっと詳しく→中村家文書


キリシタン禁制札

   大町市有形文化財 大塩高札場の高札

もともとの大塩の高札場は、県天然記念物の大塩のイヌザクラ(静の桜)から約100メートル南側の街道沿いに存在した。指定されている3点は、いずれも江戸時代に高札場に掲げられていたもので、「キリシタン禁制」=正徳元年(1711)=は91センチ×33センチ、「毒薬禁制」=正徳元年=は124センチ×49センチ、「にせ金禁制」=天保10年(1839)=は82センチ×36センチの大きさ。現在はいずれも、国重要文化財の旧中村家住宅(美麻青具)土蔵内に保存展示されている。


復元高札場

  大町市有形文化財 向生仏屋敷出土灰釉陶器広口瓶

昭和初期に耕作中発見されたもので、高さ19・7センチ、口径10・2センチ、底径8・5センチ。口縁の一部が欠損する以外は、ほぼ完全な形である。産地は岐阜県多治見周辺の東濃地方で、時期は大原1号窯式(10世紀前半)。
※もっと詳しく→向生仏屋敷出土灰釉陶器広口瓶

大町市有形文化財 横川重忠氏所有木造阿弥陀如来立像

木食山居作と推定される江戸時代中期の木像。総高48・5センチ、像高28センチ、台座11センチ。
※もっと詳しく→横川家木造阿弥陀如来立像

 大町市有形文化財 千見薬師堂の木造薬師如来立像

木食山居作と推定され、総高45センチ、像高36・5センチ、台座12・5センチ。付属指定の聖観音立像も山居作と推定される江戸時代中期の木像。聖観音は総高53センチ、台座10センチ。

  大町市有形文化財 千見神明宮絵額と句額

千見神明宮拝殿に奉納される絵額(絵馬)のうち6面、句額のうち8面を指定。絵額の制作年代は天明7年(1787)〜安政2年(1855)にわたる。また句額の制作年代は、文化5年(1808)〜明治33年(1900)のもの。
※もっと詳しく→千見神明宮絵額と句額


大町市有形文化財・学びの糸ぐち

大町西小学校の前身にあたる筑摩県第十小学校、入徳館、仁科学校の創立から副教として学校運営に携わり、明治九年に北小谷小学校へ転任した中村孝三が、仁科学校を転出するにあたり、草創期の大町の学校について書き記した文書。昭和31年5月、大町小学校の倉庫整理のさい処分され、廃品業者の手に渡ったが、当時北安曇教育会に勤務していた小林立志郎氏が他の資料とともに業者から譲り受けて保管、平成11年に大町西小学校へ寄贈され、校内の教育資料室に展示保存されている

  大町市民俗資料宮本 ・ 松崎和紙すき用具コレクション

大町市社地区は江戸時代から紙すきが盛んで、宮本紙、松崎紙と呼ばれ珍重されてきた。この史料は当地で行なわれてきた紙すき用具を集めたもので、紙すきの全容を知るうえで貴重な史料である。大町市社公民館・民俗資料館内に保存・展示。


民俗資料館

  大町市民俗資料 仏崎観音寺千有一馬集絵馬

安政2年(1855)に絵師村上完民、中藤月漢により描かれた。縦210センチ、横475センチの大きさで、大町・北安曇地方で最大の絵馬。画面の下部に寄進者名などが村ごとに2段余にわたり列記されていて、当時の庶民信仰のありかたなどを示す貴重な史料である。

  大町市民俗資料 医王谷飯綱神社筒粥占い神事

医王谷飯綱神社は医王谷12か村が氏子範囲で、西の窪、長畑、北桑梨、南桑梨、小田谷、矢田川、鹿籠、曽山、田畑、地捨之田、槍平などがその範囲だったが、過疎化により現在は梨平移住の数戸と西の窪・長畑の氏子により神事が続けられている。毎年正月15日に行なわれる神事は、篠竹やや葦の筒を米や小豆のなかに入れて粥を炊き、筒の中の粥の入り具合で、その年の豊凶や天候、景気などを占う。平成19年(2007)の結果は、世の中七分、雨五分、風五分、稲八分、大豆三分、小豆七分、そば九分、玉ねぎ八分、ナス三分などのご託宣だった。
※もっと詳しく→筒粥占い神事

    大町市民俗資料 水上神社の神輿巡幸

美麻水上神社の神輿は、担い棒付き鳥居形、神殿などで構成されていたが、現在は神殿部分が欠けていて、代わって神体御幣と、木製の4本鉾を神輿に立てて用いている。かみしもに帯刀姿の4人により巡幸する神事。神輿は江戸時代末期の作と推定される。
※もっと詳しく→水上神社神輿巡幸

      大町市史跡 天正寺仁科氏居館跡

鎌倉時代後期から室町時代末までの仁科氏の遺跡である。平城で、規模は東西180メートル、南北120メートル。外堀、内堀の二重の堀や、土居(土塁)を回らせた居館。仁科氏の滅亡後に、その菩提を弔い、天正院=天正寺を造ったといわれる。
※もっと詳しく→天正寺仁科氏居館跡

    大町市史跡 新郷1号古墳及び副葬品一括

古墳時代後期の6世紀末に築造され、8世紀のはじめまで使用された松本平では数少ない積石塚である。横穴式石室で、埋葬状態もよく残っており、副葬品も豊富に残されていた。昭和58年に発掘調査が行なわれた。副葬品(出土品)は大町市文化財センターで保存している。※もっと詳しく→新郷1号古墳

      大町市史跡 権現山堂屋敷跡

美麻新行の権現山山麓に、堂屋敷と伝えられてきた礎石が残る屋敷跡。永禄年間(1558〜1569)、戸隠大権現が上杉の兵火の難を逃れるため、この地へ奉遷を計画したとの伝承がある。しかし文禄3年(1594)の鎮静により夫筏別院から当地への奉遷はなかった。付属指定として、戴神社奥社に隣接するウラジロモミ2本、クロベ2本、カラマツ1本が指定されている。
※もっと詳しく→権現山堂屋敷跡

      大町市史跡 千見山城跡

伝承によると、城主は上杉方の大日方源吾長辰氏といわれる。また武田方の山県昌景により、弘治2年(1556)火責めにされ落城したと伝えられる。曲輪(くるわ)や堀跡が残り、網戸、空堀、犬戻、厩、水の手、城裏、帳場、山城、一ノ木戸、二ノ木戸、西木戸、馬場、鍵掛などの地名が残る。本丸は東西50×南北20メートル、二の丸東西40×南北30メートル、三の丸東西20メートル×南北15メートル。なお、天保6年造立の城主供養塔がある。城の下には千見遺跡がある。
※もっと詳しく→千見山城跡


千見城山遠景

      大町市史跡 大塩山城跡

本丸跡(12×27メートル)、二の丸、一の曲輪、二の曲輪跡をそなえる複郭式山城。兵糧倉、水槽、城内、征城門跡、物見櫓跡などの施設が伝わる。山上に仁科氏をまつる祠があり、「木曽義貞、寿永3年(1184)義仲戦死後、仁科盛遠によって大野田に隠される。安貞元年(1227)森城に居する阿部貞高を討つために大塩城を築く=信府統記=、のち義重は仁科の姓を名乗る」とする伝承がある。
※もっと詳しく→大塩山城跡


大塩城山

出土土器片

      大町市史跡 堀の内遺跡

平成5年と平成12年に、2回の発掘調査が行なわれている。縄文時代早期から中世にかけての複合遺跡である。中世の遺構としては、居館が確認されている。大塩山城跡の根小屋と思われる。
※もっと詳しく→堀の内遺跡


出土土器

     大町市天然記念物 オオヤマザクラ       

日本国内でも北部地方で自生する桜で、群生地としては大町市が南限であり、比較的分布密度が高い中綱湖、青木湖周辺がしていされている。オオヤマザクラは淡い紅色の華やかな色彩を持ち、病害虫にも強い桜である。シンボルのひとつ大町市の木に指定され、各地に植樹され増やされている。
※もっと詳しく→オオヤマザクラ

     大町市天然記念物 大町市のヌマカイメン

中綱湖と、木崎湖下流の農具川に生息。かつては世界各地に広く分布していたが、開発や汚染などにより急速に姿を消しつつある、淡水海綿の一種。長野県内では大町市にのみ生息している希少かつ貴重な生物である。冬の間はばらばらになり、夏になると集まり海綿状となる動物。地域を定めぬ種の指定。


中綱湖

    大町市天然記念物 大町市のカワシンジュガイ

長野県天然記念物(地域指定)に指定されているが、指定地の中部農具川と居谷里沢以外にも、木崎湖下流の下部農具川および、その支流の横せぎなどでも生息が確認されているため、地域を定めない「種の指定」により、大町市天然記念物にも指定されている。

    大町市天然記念物 霊松寺のオハツキイチョウ

オハツキイチョウとは「お葉付き銀杏」の意味で、葉の上にギンナンが結実する珍しい現象。現在の枝にギンナンが付くイチョウの進化以前の姿といわれ、先祖返りのような珍しい現象。境内地下を流れる冷たい地下水や、約900メートルの標高などが要因といわれる。葉に赤ちゃん(ギンナン)が付くことから「拾ってお守りにすると子宝に恵まれる」と信じられている。

    大町市天然記念物 高瀬川の基盤岩

松本盆地内部で確認された唯一の岩盤。この存在によって、従来はなめらかな地形と考えられていた盆地の岩盤が、実はかなりの起伏に富んでいることが分かった。また糸魚川─静岡構造線の通過位置を知る、貴重な手がかりでもある。
※もっと詳しく→高瀬川の基盤岩

    大町市天然記念物 一本木神社のカシワ

目通り周囲3・35メートル、樹高25・5メートル、推定樹齢300年。二次林の構成種としては、まれに見る大木で、推定樹齢のわりには樹形の均整がとれ、腐朽部が少なく、おう盛な活力を維持している。大径木としては残りにくいカシワのなかで、巨樹として現存するのは珍しい。


山岳博物館標本

 大町市天然記念物 市立大町山岳博物館のトキ標本               長野県大町高等学校のトキ標本

トキは特別天然記念物、国際保護鳥として保護されてきたが、日本産のトキは絶滅した。現在は中国からトキの贈呈を受け、新潟県佐渡で人工増殖に取り組んでいる。このような状況下にあるトキの標本は、大変貴重なものである。大町山岳博物館のトキは大正8年(1919)、大町高校のものは大正6年(1917)、それぞれ大町市美麻地区内で捕獲されたものである。


大町高校標本

    大町市天然記念物 仏崎観音寺のアカマツ

常盤泉仏崎観音寺の東側にあり、樹形は広円錐形で、樹高20メートル、目通り周囲4・2メートル。樹齢はおよそ250年と推定される。2本の独立幹が肥大成長するとともに融合した「和合木」である。こうした融合の姿や分岐した2幹が良く似ていることから、地元の人は「夫婦松」と呼んで大切にしている。

    大町市天然記念物 海ノ口のアカマツ(笠松)

海ノ口公民館南側にあり、樹形は単幹の傘形。樹高18メートル、目通り周囲4・17メートル、樹齢は300年以上と推定される。まっすぐに伸びた樹幹は、地上9・5メートルの位置で大枝に3分岐して広がり、傘形となっている。この樹形から地元の人は笠松と呼んで大切にしている。


中シマ繁殖地に産み付けられた卵塊

  大町市天然記念物 中シマのモリアオガエル繁殖地

モリアオガエルは樹上に泡状の卵塊を産む特異な生態を持つカエルで、産卵は梅雨期の雨の降る夜間に行なわれる。大町市のモリアオガエル繁殖地は数少なく、特に中シマは比較的まとまった産卵が見られる貴重な繁殖地である。


モリアオガエル

    大町市天然記念物 須沼薬師堂のカツラ

東西一対のカツラは、薬師堂の門木として大切にされてきた。大町市内最大のカツラと思われるが、均整のとれた樹形を持ち、田園風景のなかにひときわ目立っている。東幹は樹高20・5メートル、目通り周囲3・5メートル、西幹は樹高25・5メートル、目通り周囲4・1メートル。

    大町市天然記念物 西山西原のイチイ

イチイは別名アララギという。イチイがひときわ目立つため、この木があるリンゴ園はアララギ園と呼ばれている。樹高は12・5メートル、目通り周囲2・95メートル。雌雄異株で、この木は雌株である。イチイは大木として残るものは極めて数少なく、貴重である。
※もっと詳しく→西山西原のイチイ

  

    大町市天然記念物 大黒町追分のシダレザクラ

大黒天石像のわきに生育しており、「大黒様のシダレザクラ」と呼ばれ親しまれている。樹高8・5メートル、目通り周囲3・05メートル、推定樹齢は150年で、石像の製作年代と重なる。シダレザクラでは市内最大級のもの。

    大町市天然記念物 三日町若宮八幡宮のヒノキ

樹高29メートル、目通り周囲5・1メートル。三日町分水集落の氏神様である若宮八幡宮のご神木で、均整のとれた自然樹形を保っている。ヒノキは優良な建築用材であるため、大径木として残るものはまれで、貴重なものである。推定樹齢は400年以上。
※もっと詳しく→三日町若宮八幡宮のヒノキ

    大町市天然記念物 西山城山のエドヒガン

樹高29メートル、根回り周囲5・33メートル。東西2幹に分かれたエドヒガンザクラ。西山城山の急しゅんな北斜面に生育しており、谷川に向かって枝を張る自然樹形である。この木を切ると山が崩れると伝えられ、これが大径木になった一因となっている。
※もっと詳しく→西山城山のエドヒガン

    大町市天然記念物 高根町曽根田のエドヒガン

単幹で均整のとれた傘形の樹形を呈する。樹高12メートル、目通り周囲4・65メートルのエドヒガンザクラ。推定樹齢は300年ほどで、戦前までこの地にあったお堂との関連が考えられる。地元には400年ほど前に修行僧が植えていったという伝承がある。
※もっと詳しく→高根町曽根田のエドヒガン

    大町市天然記念物 大町市のキザキコミズシタダミ

キザキコミズシタダミは、日本産ミズシタダミ科の希少種のひとつに数えられている。カワシンジュガイとともに氷河期の生き証人(遺存種)ともいえる貝である。国内では大町市平の木崎湖と中綱湖にしか生息していないと考えられる貴重な固有種である。

    大町市天然記念物 姿見池のマメシジミ

マメシジミは、二枚貝綱マルスダレガイ目マメシジミ科に属する。小型の二枚貝で、殻長は3〜5ミリを測る。地域指定された姿見の池は、平西海ノ口西方の山腹(標高1100メートル付近)にあり、面積は1・5平方メートルほどの小さなものである。本種は今のところ大町市内では、ここだけに確認されている貴重種である。
※もっと詳しく→姿見池のマメシジミ

    大町市天然記念物 大倉のイチイ

昭和8年に旧長野県天然記念物指定、昭和44年県条例の全面改正により指定解除。坪庭に鉢植えしたものが根付き、大木になったと伝えられ、伝承では樹齢約1000年といわれている。目通り周囲4・73メートル、根回り4・7メートル、高さ21・7メートル。
※もっと詳しく→大倉のイチイ

    大町市天然記念物 水上神社の大杉

水上神社のご神木。目通り周囲6・30メートル、根回り7・67メートル、高さ53・1メートル。伝承では樹齢750年余りと推定される。「水上神社のコナラとスギ」の名称で昭和22年に旧長野県天然記念物に指定、44年解除。コナラは枯れて、切り株のみが残る。
※もっと詳しく→水上神社の大杉

   大町市天然記念物 大塩のオオモミジ(枯死・指定解除)


美麻大塩の静の桜公園内に、県天然記念物の大塩のイヌザクラ(静の桜)と並んでそびえていた。旧美麻村天然記念物指定時は「大塩のヤマモミジ」とされていたもの。目通り周囲3・4メートル、樹高6・8メートル。推定樹齢は300年。幹は地上1・5メートルほどのところで複数に分岐するが、もとは複数の融合木であると考えられている。近年樹勢が衰え枯死した。

    大町市天然記念物 若栗のアオナシ

美麻若栗峠にあり、目通り周囲4・31メートル、樹高16・8メートル。長野県内のアオナシでは第2位にあたる。樹齢は500年と伝承されている。成長に伴う融合性の枝幹、均整のとれた美しい立木。基部には洞が見られるが、近年保全策もとられ、樹勢も安定している。
※もっと詳しく→若栗のアオナシ

北アルプスの青い風

※資料提供・大町市文化財センター

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